
http://www.badassoftheweek.com/mifune.html
三船 敏郎(みふね としろう、本名、1920-1997)は日本を代表する俳優であり、映画監督でもあった。
西洋には日本の一番有名な俳優として知られている。1951年に『羅生門』がヴェネツィア国際映画祭で賞を受賞し、「世界のクロサワ」の黒澤明と共に「世界のミフネ」と呼ばれるようになった。
三船は1920年に当時日本の占領下にあった中華民国・山東省青島に生まれた。若いころに軍隊に入隊した。
戦争の後、経験もなし、就職先もなし、ニューフェイス募集をしていた東宝株式会社(とうほう、Toho Co., Ltd.)に勤めた。1947年『銀嶺の果て』』(ぎんれいのはて)ですぐに映画デビューをした。
黒澤監督に見い出され、翌年黒澤監督デビューの映画『醉いどれ天使』にチンピラ松永役で登場した。
その後、黒澤監督と友人になり、『醉いどれ天使』から『赤ひげ』までの16年間出演し国際的有名スターになった。
残念なことに、『赤ひげ』(あかひげ)は黒澤監督とともに製作された最後の映画であった。ある記事によれば、二人は甚だしい喧嘩をしてしまったそうである。おそらく、黒澤明の厳しい態度のせいであろうか。
とにかく、三船の死後、黒澤は「会って、三船君、本当によくやったなあ、と褒めてあげたかった。あんな素晴らしい俳優はもういません」とコメントした。不思議なことに三船の死からまもなく黒澤も死んだ。
世界の観客にとってカリスマチックで、勇気のある武士として永遠に心に焼きついた。
関係書目:
広辞苑、ブリタニカ