niedziela, 30 stycznia 2011

黒澤について自分の考え

今回の投稿(とうこう)はこれまでに載せた投稿とは違うものになると思う。これまで私はこのテーマについて消極的な態度をとり、科学者や、世界の人たちのご意見しか紹介しなかった。しかし、皆さんは私に『黒澤明のどんなところに魅力を感じ、何故他の監督ではなく、黒澤にしたのか』と言う質問をよくする。そのため、今回のみ積極的に皆さんの質問に答えることにする。

恐らく、私が黒澤明の最初に観た作品は『乱』および『七人の侍』(しちにんのさむらい)であったと思う。その二本の映画はとても印象的な作品だと思うけれど、うまく製作された映画に過ぎないと考えた。ある日黒澤についての本を読んで、意見が変わった。その本に黒澤明は青春時代には画家になりたかったと書いてある。しかし、すぐにその夢をあきらめ、監督になることを目指し、助監督として採用された。選考試験の間、黒澤は大変情熱的な言葉を述べた。『絵だって映画だって同じです』と黒澤は語った。
以前は私にとって、映画と絵は別な芸術だと思った。映画がは映像を使用するのは現実だけれど、映画を公開するためには、監督だけではなく、スタッフも努力する。いわば、映画は作者の一人の作品ではないことになる。
だからこそ、両方を比べると、映画のほうは術としての評価がほとんどなく、一般大衆の娯楽として捉(とら)えられている。

だが、黒澤明はその評価の低い芸術の力を信じて、傑作とみなされる映画を製作した。

彼にとって、映画は全世界の人間と一つになれるものと考えた。そういう考え方をした人を私はまもなく尊敬するようになった。
映画が嫌いな私にとっても、黒澤明監督は巨匠である。その考えに従って、黒澤の才能を明らかにするため、映画を専門的に研究し、修士論文を書いている。

関係書目:
『黒澤明誕生100年総特集』株式会社、KAWADE 書房新車、東京2010

sobota, 29 stycznia 2011

『野良犬』

現在私は黒澤明の『野良犬』(のらいぬ)について卒業論文の一章を書いているので、今回はこのテーマに注目したい。
『野良犬』1949年に黒澤明監督により製作された日本の映画である。『野良犬』の製作途中、黒澤はベルギーのフランス語で書く小説家で、推理作家のジョルジュ・シムノン(Georges Simenon)に夢中になり、シムノン風に映画制作したようである。

この作品のストーリーは実話に基づいたものだそうである。「これは実話なんです。物資が無かったあの頃、ピストルを盗まれた運の悪い巡査がいてね・・・」と、黒澤は語っていた。
このアイデアに取り付かれた黒澤はいったん小説に書き上げ、映画化した。

内容はある猛暑の日、ある刑事がバスの中で、拳銃を掏られてしまう。彼はベテランの刑事の指揮の下、盗んだ拳銃(けんじゅう)を探している。しかし、その最中にも刑事の拳銃を使った殺人事件が起きてしまう。彼らはこの殺人事件の犯人幼馴染みで、レビューの踊り子を訪ねて行く。そこで、年配の刑事も拳銃で撃たれてしまい、若い刑事はただ独り、殺人を追い詰め対決のの瞬間を迎える。

明らかに『野良犬』はフィルム・ノワール(film noir)の影響を受けたと思われる。脚本だけではなく、白黒を基調とした光と影のコントラストを生かした画面作りが見事である。また『野良犬』の中によく見せられた遠近法(えんきんほう=パースペクティブ)から外れた画面構成とか、レボルバー及びタバコ煙を使用したシーンもフィルム・ノワールの特徴である。

黒澤明がフィルム・ノワール風に映画を公開したのは何故であるか皆さんも自分の意見を述べてほしい。





関係書目:

『黒澤明の世界』佐藤 忠男、朝日新聞社、東京1969
『More than Night: Film Noir in Its Contexts』 James Naremore,University of California Press 1998

poniedziałek, 24 stycznia 2011

黒澤を師と仰ぐ世界の映画人(Part 2)

スティーヴン・スピルバーグ(Steven Spielberg, 1946-)は、アメリカ合衆国の映画監督で、 映画プロデューサーもである。アメリカ映画アカデミー会員。
スピルバーグの代表作品は『ジョーズ』(Jaws, 1975年)、『E.T.』(E.T. the Extra-Terrestrial, 1982年)、『フック』(Hook, 1991年)、『ジュラシック・パーク』(Jurassic Park, 1993年)、『シンドラーのリスト』(Schindler's List, 1993年)、『宇宙戦争』(War of the Worlds, 2005年)などである。
恐らくハリウッド映画の代表的な監督スティーヴン・スピルバーグも黒澤明を畏敬する一人である。
『黒澤映画の魅力を私なりに表現するならば、その崇高さと、美しい映像の編成にあると思います。黒澤明は、言うなれば、世界中の映画を愛する人々に贈られた日本文化の至宝です。なぜならば、映画における彼の主張には、普遍性があるからです。彼は映画を通して、人間の存在そのものを讃えている(ほめる)のです。そうした彼のー貫した姿勢が、地球上のあらゆる国々の映画人の尊敬を獲得しているのではないでしょうか。私は、黒澤明を師と仰いで、今後もずっと学び続けたいと思っています』(『師と仰ぐ黒澤明』『黒澤明映画の美術・乱』)



マーティン・スコセッシ(Martin Scorsese、1942-)は、アメリカ合衆国の映画監督で、脚本家で、映画プロデューサーもである。
スコセッシの代表作品は『エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事』(The Age of Innocence、1993年)、『アビエイター』(The Aviator、2004年)などである。
1964年に公開されたマーティン・スコセッシ監督映画『荒野の用心棒』(こうやのようじんぼう)(英題:A Fistful of Dollars)は黒澤明の『用心棒』をマカロニ・ウェスタンに翻案した作品だと言われている。スコセッシは主人公のジョーを演じたクリント・イーストウッドに出演依頼を行う際に「日本映画のリメイクを作る」と伝えていた。本作品の筋書きや登場人物、演出、台詞などが黒澤の映画と似ていることに間違いはない。




関係書目:
IMDbhttp://www.imdb.com/
『黒澤明全作品生涯』都築政昭、東京書籍

piątek, 14 stycznia 2011

黒澤を師と仰ぐ世界の映画人(Part 1)

黒澤映画の動的な映像美から欧米の若い監督たちが強い影響を受けた違いはない。
下に黒澤の映像に影響を受けたハリウッドの新世代監督たちを紹介する。


ジョージ・ルーカス(George Lucas,1944―)アメリカの映画監督、脚本家、映画プロデューサー、実業家。
『スター・ウォーズ・シリーズ』や『インディ・ジョーンズ シリーズ』などで世界的に有名になった。
なお、ジョージ・ルーカスの代表作『スター・ウォーズ・シリーズ』は黒澤の『隠し砦の三悪人』(かくしとりでのさんあくにん)を参考に制作、公開された。



その上、ジョージ・ルーカスは『七人の侍』に触発されたという。
「スクリーンにみなぎる力強いエネルギーに、ただただ圧倒され、初めて本物の映画と出会った!」(中略)(『黒澤明と乱』学習研究社)




フランシス・フォード・コッポラ
(Francis Ford Coppola, 1939-)はアメリカの映画監督で実業家でもある。
コッポラの作品の『ランブルフィッシュ』(Rumble Fish)、『ペギー・スーの結婚」(Peggy Sue Got Married)、『ドラキュラ』(Bram Stocker’s Dracula)は名作である。さらに、彼の代表的な作品は『ゴッドファーザー』(The Godfather)のシリーズと言われている。

ある映画評論家は、コッポラの『ゴッドファーザー』のファーストシーンの結婚式の場面は、黒澤の、『悪い奴ほどよく眠る』の場面が連想されると指摘している。






関係書目:
『黒澤明と乱』学習研究社,
『黒澤明全作品生涯』都築政昭、東京書籍

poniedziałek, 20 grudnia 2010

黒澤監督と俳優三船(みふね)の関係


http://www.badassoftheweek.com/mifune.html


三船 敏郎(みふね としろう、本名、1920-1997)は日本を代表する俳優であり、映画監督でもあった。
西洋には日本の一番有名な俳優として知られている。1951年に『羅生門』がヴェネツィア国際映画祭で賞を受賞し、「世界のクロサワ」の黒澤明と共に「世界のミフネ」と呼ばれるようになった。

三船は1920年に当時日本の占領下にあった中華民国・山東省青島に生まれた。若いころに軍隊に入隊した。
戦争の後、経験もなし、就職先もなし、ニューフェイス募集をしていた東宝株式会社(とうほう、Toho Co., Ltd.)に勤めた。1947年『銀嶺の果て』』(ぎんれいのはて)ですぐに映画デビューをした。
黒澤監督に見い出され、翌年黒澤監督デビューの映画『醉いどれ天使』にチンピラ松永役で登場した。
その後、黒澤監督と友人になり、『醉いどれ天使』から『赤ひげ』までの16年間出演し国際的有名スターになった。
残念なことに、『赤ひげ』(あかひげ)は黒澤監督とともに製作された最後の映画であった。ある記事によれば、二人は甚だしい喧嘩をしてしまったそうである。おそらく、黒澤明の厳しい態度のせいであろうか。
とにかく、三船の死後、黒澤は「会って、三船君、本当によくやったなあ、と褒めてあげたかった。あんな素晴らしい俳優はもういません」とコメントした。不思議なことに三船の死からまもなく黒澤も死んだ。
世界の観客にとってカリスマチックで、勇気のある武士として永遠に心に焼きついた。




関係書目:
広辞苑、ブリタニカ

niedziela, 5 grudnia 2010

黒澤明は何を伝えたいか


黒澤明監督はすべての作品でにおいて『なぜ人間が不幸か』というヒューマニズム問題を取り上げた。黒澤によって撮影された世界には悪が存在する。その世界は安全なところではなく、危険で、暴力的な不公平なな場所である。そのような周に生きている人間もすぐに悪人になるだろう。しかも、他のアメリカの監督(たとえばジョン・ヒューストン)とは、黒澤監督はその人間に対する態度が違った。この世に生まれた人間は基本的に悪人ではないと、人間に信仰する態度をとる。人間は何が純粋の悪か、何が純粋の善かを分別できる意識を持っているはずである。完全に善である人はいないし、完全に悪である人もいない。すなわち、人間の心の奥には隠れた善良があるので、どんな時でも人間に信頼を失うわけにはいかないということを黒澤監督は観客にしっかりと伝えたかったのだと思う。


写真:原田美枝子女優、1985公開された『乱』
http://www.allmoviephoto.com/photo/mieko_harada_ran_001.html

piątek, 19 listopada 2010

黒澤明の引用



http://serfriki.wordpress.com/2010/03/28/ano-kurosawa-ii/

批判は、誰にでも云える。
しかし、その批判の上に立って、具体的に改訂してみせる事は、並大抵の才能でできることではない。
------------------
私は、特別な人間ではない。
特別に強い人間でもなく、特別に才能をめぐまれた人間でもない。 
私は、弱みを見せるのが嫌いな人間で、人に負けるのが嫌いだから努力している人間に過ぎない。
ただ、それだけだ。
------------------
しかし、観客が本当に楽しめる作品は、楽しい仕事から生まれる。
仕事の楽しさというものは、誠実に全力を尽くしたという自負と、それが全て作品に生かされたという充足感が無ければ生れない。
そして、そのスタッフの心は、作品の姿に現われるのである。


引用は全部黒澤明の本「蝦蟇の油」からの引用である。

黒澤明「蝦蟇の油―自伝のようなもの」、岩波書店、1984