poniedziałek, 20 grudnia 2010

黒澤監督と俳優三船(みふね)の関係


http://www.badassoftheweek.com/mifune.html


三船 敏郎(みふね としろう、本名、1920-1997)は日本を代表する俳優であり、映画監督でもあった。
西洋には日本の一番有名な俳優として知られている。1951年に『羅生門』がヴェネツィア国際映画祭で賞を受賞し、「世界のクロサワ」の黒澤明と共に「世界のミフネ」と呼ばれるようになった。

三船は1920年に当時日本の占領下にあった中華民国・山東省青島に生まれた。若いころに軍隊に入隊した。
戦争の後、経験もなし、就職先もなし、ニューフェイス募集をしていた東宝株式会社(とうほう、Toho Co., Ltd.)に勤めた。1947年『銀嶺の果て』』(ぎんれいのはて)ですぐに映画デビューをした。
黒澤監督に見い出され、翌年黒澤監督デビューの映画『醉いどれ天使』にチンピラ松永役で登場した。
その後、黒澤監督と友人になり、『醉いどれ天使』から『赤ひげ』までの16年間出演し国際的有名スターになった。
残念なことに、『赤ひげ』(あかひげ)は黒澤監督とともに製作された最後の映画であった。ある記事によれば、二人は甚だしい喧嘩をしてしまったそうである。おそらく、黒澤明の厳しい態度のせいであろうか。
とにかく、三船の死後、黒澤は「会って、三船君、本当によくやったなあ、と褒めてあげたかった。あんな素晴らしい俳優はもういません」とコメントした。不思議なことに三船の死からまもなく黒澤も死んだ。
世界の観客にとってカリスマチックで、勇気のある武士として永遠に心に焼きついた。




関係書目:
広辞苑、ブリタニカ

4 komentarze:

  1. 三船は本当に有名でした。彼は日本の映画だけでなく、アメリカの映画や「将軍」のドラマにも登場しました。彼は主に怖くて、“マッチョ“タイプの人の役を演じた気がします。彼は能の役者だったら絶対荒事の役を演じると思います。
    そして、私は三船は映画監督だったのはまったく知りませんでした。

    Kasia

    OdpowiedzUsuń
  2. 私もカシャさんと同じように三船は荒事師みたい演じたと思います。私は始めて、三船の演じる映画を見たら、彼は本当に怖い声があると思いました。立派な俳優であったに違いはありませんが、彼は監督であったことを知りませんでした。何か有名な映画を作りましたか?

    OdpowiedzUsuń
  3. 返事が遅くなって、申し訳ないです。

    三船敏郎は1962年に三船プロダクション(みふねプロダクション)を設立しました。

    三船敏郎没後、長男の俳優の三船史郎が父親から職務を引き継いき、会社は現在に至ります。

    三船が製作された映画一本しか知りません。それは1963年に公開された『五十万人の遺産』(ごじゅうまんにんのいさん)です。
    スタッフ、キャスト共に、黒澤組メンバーが多数参加し、黒澤自身も三船が書いた脚本を編集したと言われます。

    しかし、評論家らの評価は低いでした。三船が再び監督業に就くことはありませんでした。

    OdpowiedzUsuń
  4. 黒沢と三船の関係はとても面白かったと思います。監督と監督の一番大事な俳優の関係でした。二人はどのようにお互いの仕事に影響を与えましたか。三船がなかったら、黒沢の映画はどのように変わりましたか。その質問のために答えられません。ですけど、この二人が会わなかったら、映画の世界は今の映画の世界のとは非常に違うようになったと思います。

    OdpowiedzUsuń